ガーゼィの翼〜バイストン・ウェルの世界〜より Long Interview 1 富野由悠季監督に聞く! Q:まずは、今回の作品『ガーゼィの翼』の舞台でもあり、 富野監督がライフワークとされている、“バイストン・ウ ェル”の世界についてお伺いします。これまで様々な作品 を通して構築され続けてきた異世界“バイストン・ウェル” を思いつかれたキッカケというのは? 富野:テレビの仕事で『ダンバイン』を作ったときに、ロ ボットものと言われるジャンルの作品だけれども、機械先 行、メカ先行の作品にはしたくはないというのが、まずあ って・・・・・・。そこから、俗にいうファンタジー世界 の中でロボットを活躍させる作品にしよう、というアイデ アが浮かんできました。そして、そのためのファンタジー ・ワールドとは、いったいどういうモノなのか? という ことを考えていった結果できあがったのが、『ダンバイン』 の中で描かれていた“バイストン・ウェル”なんです。 Q:そのときに特に気をつけられた点などは? 富野:いくつかあるんだけど、そのうちのひとつに単純な 異次元世界にはしたくなかった、という点があります。ど ういうことかというと、ファンタジーの基本を考えたとき に、そこにはたえず“夢物語”というキーワードが存在し ている。“夢物語”とは人間の欲望を具象化したものとい うことなのだが、人間の欲望には“よきもの”と、その反 動としての“あしきもの”があって、この2つの欲望が現 われたのがファンタジーの世界なんですね。  だから、例えば、単なる欲望の世界というだけではなく、 そこに厳しい道徳律というか、戒律といった要素が深く入 り込んで物語が成立している西洋のファンタジー、いわゆ るキリスト教文化圏で語られているファンタジーを見てい ると、天使たちが登場する“陽の世界”の物語と同時に、 悪魔というかゴブリンのようなものたちが跳梁跋扈する “陰の世界”の物語をも作り上げてきた歴史があるわけで ・・・・・・。もちろん、これと同じようなことは、ゴブ リンの代わりに物の怪や魑魅魍魎といったものたちが登場 する日本古来のお伽噺の世界にもみられます。  ぼくは、ファンタジーをそういう風に捉えていました。 それで、“バイストン・ウェル”を作るとき最初から決め ていたのは、異世界は絶えず人の意志に近いところにある ということ。だから、“バイストン・ウェル”はオーラ (人の力)が影響した世界なんだ、という考え方にたどり 着いたということです。 Q:では、“バイストン・ウェル”というネーミングは、 どのようにして? 富野:ずいぶん昔のことなので、よく思い出せないんだけ ど・・・・・・。オーラがものすごく影響している世界で はあるけれど、“オーラステージ”とか“オーラワールド” という名前にはしたくなかった。・・・・・・そうだ、あ のときは確か、井戸という言葉からはじまったんですよ。 現実の井戸というのは、水を汲み出すために地中に向かっ て掘られた穴であるんだけれど、実は、異次元をつなぐ出 入口なのかもしれない、というアイデアが最初にあって ・・・・・・。  そういう井戸のような不思議なモノがあってもおかしく ない場所はどこだろう? と考えているうちに、ひょっと したら、石というのは物の根元を象徴している物質かもし れない。だったら、その近くにあるのではないか・・・・ ・・。そんな風に考えがふくらんで、“バイストン・ウェ ル”とネーミングした。そしてら、自分でもすっかり気に 入ってしまって。 Q:なるほど。“バイストン・ウェル”という言葉は、 “石のそばにある底なしの井戸”という意味だったわけで すね。 富野:ええ。そして、“バイストン・ウェル”というのは 我々の心、つまり意識の中にある世界だから、そこで活躍 するロボットは一般的にオーラバトラーと呼ばれるんです。 Q:『ガーゼィの翼』では、コモン界に住むコモン人や、 その下にある地の界に住むガロウ・ランなど、様々な界層 や生物が登場しますね。“バイストン・ウェル”の世界が 縦構造になっている理由は? 富野:基本的には、“バイストン・ウェル”は何でもあり の世界。かといって、好き勝手に色々なモノを登場させて しまうと、結果的に身勝手な世界になってしまう。そこで、 ある種の約束を作ろうということで縦の構図を取り入れた わけです。これはダンテの『神曲』などでも見られる手法 であって、ぼくの創作ではありません。ぼく自身としては “バイストン・ウェル”の世界があまり複雑にならないよ うにと考えて、このアイデアを採用したつもりなんだけど、 未だに“バイストン・ウェル”全体を見渡した物語を書け ていない。今回の『ガーゼイの翼』は、そんな中での新し いアプローチのひとつなんです。 Q:『ガーゼィの翼』の主人公・クリストファは、肉体か ら分離した精神だけが“バイストン・ウェル”に引き込ま れて、肉体は現実世界に残ったままになりますね。これは、 今までの作品(肉体ごとオーラ・ロードを通って“バイス トン・ウェル”に行ってしまう)とはずいぶん違ったパタ ーンですが・・・・・・。 富野:今って、我々をとりまく生活空間自体が異常な時代 にきています。日常の中で、いびつ、あるいは歪みという ものを意識することがとても多い。今回『ガーゼィの翼』 では、そのあたりをずいぶん意識して、主人公の肉体と精 神を分離させてみました。あの状態は主人公にとって、と ても居心地の悪いことなんですよ。でも、今の時代層を意 識しながら物語を考えたら、こういう設定になってしまっ たんです。  しかも、ぼくとしてはコレ(クリストファが感じたよう な居心地の悪さ)は今回だけの特例にできれば、と思って いるにもかかわらず、“バイストン・ウェル”の次の話の ことをぼんやり考えたりしていると、そうはならないよう なイヤな予感がしているんです。つまり、我々が現在おか れている環境というのは、それくらい気持ちのいいもので はない・・・・・・といえます。 Q:そのあたり、ひたすら便利さを追求する現代文明のあ り方への疑問といったことがらは、『ガーゼィの翼』の原 作でも繰り返し語られていましたね。 富野:話が現代文明論のようになってしまいますが、日本 に関して言えば、アメリカとの戦争に負けた後、一度は経 済戦争に勝ったと思ったら、現在はまた負け始めて・・・ ・・・。日本人は、本当にポリシーを持って生きてるのか ? そう問いかけてみると、どうもそうではないことの方 が多すぎる。しかも、これからしばらくの間は、そういっ た日本の姿勢のようなものが顕在化してくる時代が続くよ うな気がしてしょうがないんです。そんなときに、右から 左へパパッと移動するように異次元と現実世界を簡単に行 き来する物語は書けないよなぁ、という気持ちがぼくの中 にあって・・・・・・。  具体的にいうと、“バイストン・ウェル”に召還されて、 現実世界へ戻ってくるんだけれども、また召還される。つ まり、異世界と現実世界での移動が何回も繰り返しておこ る。しかも、主人公にとってはそれをすごくうっとうしく 感ずるような状態で、無理やりにやらされられてしまう・ ・・・・・。まだまだ漠然としたものなんだけれど、なん となく頭の中で、そんな感じの話を考え始めているところ なんです。 Q:『ダンバイン』のときのように、主人公がオーラ・ロ ードを行き来する、ということですか? 富野:そう。『ダンバイン』の時代よりも激しく行ったり 来たりします。それも、この時代が抱えている“ねじれ” の現われなのかもしれません。 Q:次の主人公は自分の自由意志でオーラ・ロードを行き 来きできる、ということなんでしょうか? 今までのパ ターンでは、“バイストン・ウェル”に召還されるときに は、フェラリオや巫女の祈りといったことが介在していま したが。 富野:今の時点では、主人公が自分の意思で自由に“バイ ストン・ウェル”と現実世界を行き来できるような設定に はしたくないと思っています。  例えば、“バイストン・ウェル”への落とし穴のような ものが、たくさんできてしまっているが故の不都合さ。そ れと、タイムトラベルものの要素が入ってくるんだけど、 一度現実世界へ帰ってきて、また“バイストン・ウェル” へ戻ると、さっき自分が存在していたのとは全く違う時間、 もしくは年代にいる。すると、時間軸が連続していないか ら、この前召還されたときにやろうとしていたことは全く 意味をなさない。主人公は全てを一からやり直さなければ ならなくなってしまう・・・・・・。そういった非常にう っとおしい状態というのもあるかもしれない。  実は、こういったお話をゲームでできないか、と考えて いるんです。 Q:今のお話はゲームでということですが、“バイストン ・ウェル”の次の物語が現実の世界の気持ちの悪さという か、ねじれのようなものを色濃く反映させたものになると いう点は? 富野:そうなるでしょう。というか、完全に連動するとい うよりは、もう少しデフォルメした描き方をとらなくては いけない、とは思っています。  いずれにしても、“バイストン・ウェル”の次の物語が、 もっとドロドロした物語になることは間違いないはずです。  本来は、物語というのはなるべくスッキリ作った方がい いんだけどね。映画『インデペンデンス・デイ』みたいに。 そちらの方がわかりやすいし、だいいち見たときに気持ち いい。でも、ぼくらの年代はそうもいかないんです。 Q:では、『ダンバイン』に登場したオーラバトラーにつ いて聞かせてください。“バイストン・ウェル”の世界か らオーラバトラーというものをとらえた場合、やはり地上 から呼び込まれた異端的なモノという存在になるのでしょ うか? 富野:そう。ぼくは、機械的なるものはことごとく、人の 暮らしにとって異端なものだと思っています。今のように 文明が進んだのは機械的なものがあったからだし、確かに いろいろな面で便利にもなった。ところが、機械・技術= 異端という考え方には、それとは全く違った視点があるん です。  それによると、技術はある時代までは異端でなかったし、 人間との住み分けができていた時代があったらしいんだよ ね。ところが、電気とプラスティックの技術が確立されて から以降は、技術は人にとって完全にブラックボックス化 してしまった。そして、今の我々が知っている技術力とい うのは、人間がコントロールすることができないものにな ってしまっている。この状態というのは異端以外のなにも のでもないんです。 Q:確かにプラスティックとかは、廃棄しても分解して自 然に還ることはありませんし・・・・・・。 富野:そういった部分もありますね。それに、それまでの 技術が実は、人の目に見えていたんですよ。この形だった らこう動く、あるいはこういう力を出すということが、目 で見て理解できた。ところが、フロッピー・ディスクの中 のソフトのバグ。これは人の目では(直接)見ることがで きません。コンピューターでソフトを動かしてみるまでわ からない。ひょっとすると、技術が目に見えない性能とい うものを発揮し出した時から、人間は悪魔に取り囲まれた 世界の中にいるのかもしれない・・・・・・。先ほどブラ ックボックスという言葉を使ったのは、そういう意味なん です。  ですから、“バイストン・ウェル”に登場するオーラバ トラーは、まさにそういった現象の象徴のような扱い方を しています。これは、『ダンバイン』でオーラバトラーを 登場させたときからそうだし、これからもそれが変わるこ とはないでしょう。 Q:今回の『ガーゼィの翼』では登場しませんでしたが、 “バイストン・ウェル”の次の物語にオーラバトラーが出 現する予定は? 富野:おそらく、出現せざるを得ないと思っています。今 現在の我々をとりまく環境のいびつ感というものが、“バ イストン・ウェル”の世界に移し絵的に写ってしまうのだ から。そういったものごとの象徴としてオーラバトラーが 登場する可能性はかなりあるといえるでしょうね。 Q:『ガーゼィの翼』では、主人公のクリストファが肉体 と精神に分離して“バイストン・ウェル”へ召還されてし まう、という部分が現実の世界のいびつ感を象徴している ということですか? 富野:そうです。なにもオーラバトラーを登場させなくて も、もっと身体に近いところでもそういったことが起こり 始めているのかもしれない。そういった話を『ガーゼィの 翼』では書きたかった。  ただ、今回のクリストファの場合は、そういったことが マイナス方向にはたらかないように注意したし、ある種の 体験論として(“バイストン・ウェル”での経験を)積み 重ねたという形で物語を終わらせたつもりです。異端に包 まれているからといって、それ故に敗北した・・・・・・ とは口が曲がっても言ってはほしくない。極論してしまえ ば、このことが『ガーゼィの翼』で一番伝えたかったこと なんです。 Q:いかに時代が歪んでいても、それを救う方法はあると いうことなのでしょうか? 富野:方法はあるでしょうね。実は、それは人の心の持ち ようの問題なんだと思う。  それを技術論に近い部分で展開すれば、ぼくの場合には 作品的には『ガンダム』のような世界にいってしまうわけ で・・・・・・。『ガンダム』を例にとれば、そこでぼく がしてきたことは、モビルスーツ否定論なんだよね、ずっ と。だから、モビルスーツが好きだと言った覚えは決して ない。けれでも、ある部分では完璧に誤解されている部分 があって、ロボットものどうこうといった言われ方をする ことがあるわけです。 Q:『ガーゼィの翼』は、まず小説が始まって途中からO VAと同時進行という形で展開したわけですが、アニメが 小説に及ぼした影響というのは? また、アニメを演出さ れるときと小説を書かれるときを比べてみると、富野監督 自身の中では、どのような違いがあるのでしょうか? 富野:ぼくの場合は、小説を書くときは観念というかロジ ックが先行するんです。小説を書いているときは、『ガー ゼィの翼』でいえば主人公の精神と肉体が分離するという、 大きなテーマの部分=主人公の揺れ動きにすべての興味が 集中してしまう。そして、演出家なら誰でもすごく気にな るはずの、ひとつひとつのシーンを絵にしたときの様とい うものをまったく気にしなくなっている。このことは一番 最初に書かせてもらった『機動戦士ガンダム』のノベルズ に、すでに端的に現れていましたね。あのときも小説にす る段階で、映像的な対比論で登場させていたテレビのキャ ラを全部ではないにしろかなり外して、そして、ニュータ イプ論というものだけに集中しようとしていた。だから、 詠んでいただいた方はおわかりになったと思うんだけど、 ずいぶん堅苦しい読み物になってしまいました。  これはぼくの悪い癖というか、ある意味で活字人間なん だろうね。ノベルズの段階で、表現的にはなんとなく視覚 的に見せてはいるけど、活字だけで済ませられるなら、そ のロジックだけで小説を終わらせてなぜ悪い、みたいな。 『ガーゼィの翼』の第1巻を見直しても、それは端的に現 れている。 Q:どのあたりですか? 富野:例えばアクションシーン。それ風に書いてはいるん だけど、活字を通して書くアクションシーンというのはヘ ンに理詰めのところがあるんですよ。考えてみると、ちょ っと違うなって感じがするよね。  一方、演出をするときは、そういった部分は全部バッサ リと捨ててしまう。そのときは、それこそ絵様のことしか 考えていない。キャラが敵味方に分かれたときの絵様とか ・・・・・・。  でも、小説を書いているときはそういったことが気にな らないんです、不思議と。 Q:富野監督の頭の中では、映像と活字は完全に分離して とらえられている? 富野:ぼくの場合は、そう。また、そうあるべきだという 意識が頭のどこかにあります。ジャンルによって表現が違 ってくる、ということは創作者として一番気をつけていな ければならない点だと、常々思っているからなんです。だ から、意識しすぎですよとか、テレビとノベルズがあまり にも違いすぎて読みにくい、といった意見をいただくこと もあるのですが、ぼく自身はそれでもいいと思っているん だけどね。  ただ、最近はもう少しだけ近寄らせても・・・・・・と 考えるようになって。『ガーゼィの翼』では、それを意識 して作業したつもり。 Q:富野監督の頭の中では、今までは完全に分かれていた ものが近寄ってきているということですか? 富野:いや、そうではなくて、自分で意識して近づけてみ たということ。だから『ガーゼィの翼』は、いろいろな意 味で処女体験に近いものがあった。そのおかげで、ここま でのニアミスだったらいいだろう・・・・・・というよう な感覚をつかめたような気がしています。